COLUMN コラム

【自活研・小林理事長の自転車コラムその5】 ~歩いて暮らせる夢の町~

 ほんの一昔前まで、高度経済成長を支えるには国民の多くがクルマやオートバイを運転し、コマネズミのように働く国を造ることが至上命題だった。安全に試運転する資質があるか、法令を熟知し遵守するか、といった安全を担保する方向ではなく、試験を突破できるか、手順どおりに実地試験をパスできるか、が判断され運転免許証は身分証がわりになるほど普及した。
 日本中が一丸となってクルマが便利で安全で快適な街を創り、暮らし方を広めた。経済成長と並行して少子高齢化は進み、日本は並みいる先進各国を追い抜いて世界一の長寿国家になった。23.1%が65歳以上という世界一の超高齢社会は、もはや長寿な年寄りが笑顔で暮らせる国ではなく、クルマにおびえて暮らす逆ユートピアになった。
 高齢者がクルマ以外の移動手段を選べなければ、高速道路を逆に走行する事件が年に1000件近く起きるのは当然である。クルマなしで暮らすためには、公共交通機関が発達した都会に移り住むしかない。先祖伝来の住み慣れた土地で暮らしたくても、食料が手に入る店は廃れ、病院は丘の上にそびえ立ってクルマでしか行けない。かつて郊外に一軒家を求めた人々が高齢に達し、都心回帰を始める現象は、欧米で早くから報告されてきた。
 わが国の高齢化のスピードが他国に比べて圧倒的に早いため、あらゆる施策が間に合っていない。選挙しか眼中にない政治家と、政治主導で先を見ることを禁じられた官僚たちが小手先で絆創膏を貼って組み上げた年金制度は惨憺たるありさまだ。せめて、まだ自律して生活できる高齢者が、ある程度自由に移動できる環境が整っていればいいのだが、交通が福祉政策だということに気づかなかった為政者によって、街は危険がいっぱいのジャングルと化している。
 エスカレーターやエレベーターの先に数段の階段を造ってバリアフリー事業だという勘違いも少なくないが、自立可能な高齢者までを「歩けなくしてしまう」施策がまかり通っているのには呆れてものが言えない。まだ歩ける、まだ自転車に乗れる高齢者には「バリア有りー」が必要だとの主張もある。そこで、地球環境にやさしい自転車の街づくり!をスローガンとして掲げる自治体も登場した。
 ところが、多くの自治体の自転車振興策は、自転車も使えなくなった弱者のことをすっかり忘れている。街に買い物に行けない、病院にも行けない高齢者は寝たきりになるしかない。真に必要なのは、少なくとも路線バスを維持する具体策と、やがて現れるクルマと自転車の隙間を埋める何かを想定して、道と街を造ることだ。自転車業界も、高齢者対策に真正面から向き合うべきだ。家電量販店が、電気自動車を販売する時代が来そうな自動車業界を、対岸の火事と思っていたら間違いだろう。まだ見えないニーズに応え、時代を先取りする工夫と努力が必要だ。自転車のにわかブームに安穏としていては、ほんとうに自転車が活用できる「歩くサイズの住みやすい街」は遠ざかる。
【月刊サイクルビジネスより改訂して再掲】
 

 

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